偶像化するマスメディア

昨夜のバイト中、隣のレジの同僚(クラブでDJをやっているらしい)と音楽の話題で話していて、
「やっぱPerfumeすごいよねー」という話になった。
 
ここで彼曰く、
Perfumeは全然認めるけど、同じ田中Pが鈴木亜美とかをPerfumeと同じやり方で売り出してるのが嫌だ。
 あんだけ声にエフェクトかけたら、誰が歌ってもPerfumeみたいになる。
 アーティストとしての鈴木亜美を否定してる。」
 
ここで筆者、こんなことを考えた。
Perfumeのようなほかの歌手がやるとアーティスト性を、ともすれば人間性を削ぎ落とされるような
 やり方で売り出されたアイドルがここまで受け入れられている。
 今の世の中、テレビの中のキャラクターにはもはや人間性が必要とされていないんじゃないだろうか。」
とここまで考えた瞬間、頭の中でPerfumeと羞恥心とガンダム00が一気に繋がった。
 
羞恥心のメンバーは恐らく、その本来の個性を押し殺しておバカなキャラを演じ続けている。
ガンダム00の登場人物にはおしなべて、人間的な経験の積み重ねからくるような深い情念が感じられない。
そしてPerfumeはその独自の表現路線を貫徹するため、「人間らしい歌声」を捨て去った。
 
時代なのかもしれない。
テレビの向こうに、ステージの上に、もはや「人間」が必要とされなくなってきているのかもしれない。
 
「身体」はまだ必要だろう。
Perfumeのそのダンスパフォーマンスが彼女らの魅力の大きな要素であることは間違いない。
だが、その身体の中に宿っているはずの「人間性」を彼女らは見せない。
羞恥心のメンバーたちが本当はどれだけ頭がいいのか、テレビ越しに我々が推し量ることはまったく出来ない。
ガンダム00のキャラクターたちは、声優の声という魔力を注入されていながら、なお人間味を持てない。
 
すべて、そのように望まれているからなのかもしれない。
もはや、テレビの向こう側、ステージの上には、視聴者が望む理想の形に彫り上げられた偶像(=アイドル)がいればいい。
それを具現化するために、演者の「身体」が必要とされているだけ。
その方が視聴者は喜び、利益が生まれ、より多くの人が幸せになる、そんな時代なのかもしれない。