つくる たのしさ

とある友人曰く、
プラモデルを作る作業は苦痛だ。自分が欲しい物を手に入れるための過程に過ぎないから。
 
筆者曰く 
プラモデルを作る作業はとても楽しい。けど、作り終わって一通り遊んだら箱に仕舞って二度と出さない。
 
皆さんはどちらの立場だろうか。
この二つは、プラモデルに対する考え方を二分するほど規模の大きな問題だと思う。
 
もし、秋葉原のショーケースや中古ホビー店などに、
「自分が理想とする工作が“完璧に”施された組み立て済みプラモデル」があったとして。
それを欲しいと思うか。
おそらくかの友人は多少なりとも欲しがり、筆者は大して興味を持たないだろう。
 
モノを組み立てるのが幼少のころから非常に好きで、保育園ではブロックでばかり遊んでいた気がする。
そうそう、粘土遊びも大好きで、恐竜を作ったり、デロリアンを作ったり、
ゴジラの背ビレだけ先に作ったら粘土が足りなくなったこともあった。
小学校に入るころにかの「レゴブロック」を買い与えられてサルのように遊び倒し、
同時並行して折り紙にもハマり、週に100枚とかそういう規模で紙を消費したこともある。
 
バラバラの状態や、何の意味も無い塊から意味ある形を作り出すことそのものに喜びを感じているのだ。
その点、組み立てた後でも一度バラせばまた組めるブロック(部品が足りなくなることが多いが)や、
またもとの固まりに戻せる粘土、素材が圧倒的に安価でありふれているためいくらでも入手できる折り紙などは、
筆者の欲望を満足させるためには非常に都合の良いジャンルだったはずだ。
 
そして、1993年、筆者は運命の商品を手にする。
[rakuten:albatrosshobby:10002566:detail]
今でもはっきりと覚えている、人生最初のプラモデルである。
「ちーびー戦士」という廉価商品枠の製品で、パーツ数も少なく、組み立ては非常に簡単だった。
買ったその日に組み上げ、少なくともそれから一ヶ月、ずっとこれで遊んでいたはずだ。
なぜなら、月に二つのガンプラが買えるほどの小遣いを、当時貰っていなかったから。
角が折れ、スプリングで発射する弾丸を紛失し、羽が折れ、銃そのものも紛失し、それでもまだ遊んでいたように思う。
そして当時、バンダイの主力SD商品であった「BB戦士」には、筆者の予算は届いていなかった。
 
1994年、数ヶ月のブランクを経て、筆者は再びガンプラに手を伸ばす。

BB戦士 新SD戦国伝 七人の超将軍編 荒鬼頑駄無(コウキガンダム) NO.123

BB戦士 新SD戦国伝 七人の超将軍編 荒鬼頑駄無(コウキガンダム) NO.123

当時展開中だったBB戦士の「武者」シリーズ、「新SD戦国伝 七人の超将軍編」の先鋒であった。
ここで筆者の心を強烈に捉えたものがあった。これが、筆者のプラモ人生を決定付けるものとなったことは明白だ。
それは、取扱説明書付属の漫画の、最後のコマ。
 
「次回を待て!」
 
筆者は戦慄した。
 
自分が作ったプラモのキャラクターに背景を求めるのは当然のことであり、当時のBB戦士はその欲求を満たすべく
取扱説明書に漫画を付属させていた。それは上記のキャプテンネオでも同じことだった。
しかし、「次回を待て」とはつまり、「つづく」という意味であり、そこには明確なストーリーと
それが流れる強固な世界観が広がっていた。そう、「SD戦国伝」はそもそもそのようなコンセプトを持つシリーズであり、
当時からして中世日本風ファンタジーとして高い完成度を持つストーリーの上に立っていたのだ。
 
筆者は、その世界にのめり込んだ。
その年の七夕の短冊に、「七人の超将軍をコンプリートできますように」と書くほどに。
 
番号をふたつ(あろうことか主人公である飛駆鳥を含む)飛ばして
[rakuten:albatrosshobby:10001836:detail]
BB戦士 新SD戦国伝 七人の超将軍編 天地頑駄無(テンチガンダム) NO.128

BB戦士 新SD戦国伝 七人の超将軍編 天地頑駄無(テンチガンダム) NO.128

更にひとつ飛ばして
BB戦士 新SD戦国伝 覇道武者魔殺駆(ハドウムシャマザク) NO.131

BB戦士 新SD戦国伝 覇道武者魔殺駆(ハドウムシャマザク) NO.131

BB戦士 新SD戦国伝 七人の超将軍編 千力頑駄無(センリキガンダム) NO.133

BB戦士 新SD戦国伝 七人の超将軍編 千力頑駄無(センリキガンダム) NO.133

[rakuten:belmo:10084236:detail]
[rakuten:albatrosshobby:10001840:detail]
 
筆者は全力を尽くした。
しかし、やはり予算が追いつかなかった。
主人公である飛駆鳥(ビクトリーと読む。モチーフはV2)は1000円クラスの中量商品であり、
大型商品である「機動武者大鋼」(1500円クラス)や「飛駆鳥大将軍」(2000円オーバー)、
更には次峰である「雷鳴頑駄無」(小型商品、500円クラス)までも確保できず、短冊の夢は露と消えたのである。*1
 
そして、必死にかき集めた武者たちもまた、悲惨な運命を辿ることとなる。
筆者の当時の小遣いは500円。そう、小型商品をひとつ買うと、それで底を突く金額だった。
だから、必然的に買えるプラモは一月に一体であり、約一ヶ月間、その一体のプラモで遊ぶ必要があった。
酷使された武者の間接は悲鳴を上げ、鎧パーツは行方不明となり、シールはパーツから浮き上がった。
 
結局のところ、シリーズの流れに沿ってリリースされ、最終的には揃い踏みすることを前提として生み出された武者たちは、
筆者の手によっては次の一人が現れるまでの生贄にしかならず、彼らが二人以上、五体満足で並ぶことは遂に無かったのである。
 
2005年、新シリーズ「超機動大将軍編」がスタートする。
しかし、筆者の熱は冷めていた。
プラモコーナーに足を運び、気に入ったものがあってなおかつ所持金に余裕があれば購入もしたが、
作れば作るほど情熱は下降線をたどり、手に入れた商品も全11商品中、たったの4。
 
筆者は、なんだか悲しくなった。
身の回りでちゃんとプラモデルを組み立て、かっこよく飾っている友人たちがうらやましかった。
そして何より、自分の手の中で自分だけのために、世界を描き出してくれるはずのプラモデルたちを、
自分はなぜこんなにも粗末に扱うことしか出来ないのだろう、と、情けなくなった。
 
それ以来、筆者は武者からは距離を置き、ナイトやGアームズに転向することも無く、
テレビ放映中の作品で気に入ったMSのプラモデルをチマチマと買い、
やはり素組みしては粗末に扱うということを繰り返した。
当時の筆者には、それ以上のことをするだけの知性が無かったのかもしれない。
それを悲しいことだと自覚したのも、もしかしたら、ずっと後になってからだったのかもしれない。
しかし今、プラモデルたちに「申し訳ないことをした」という後悔の念が、確かに筆者の心にくすぶっているのだ。
 
なぜこんなろくでもない自分語りの長文を今書くのか。
それは、
 
願いが、天に届いたからだ。
 
「新SD戦国伝 七人の超将軍編」

コンプリート。
 
「新SD戦国伝 超機動大将軍編」

残り2体、「武者號斗丸」「超機動大将軍」
 
「新SD戦国伝 武神輝羅鋼編」

残り6体、「天零頑駄無」「雷龍頑駄無」「百烈将頑駄無」「頑駄無轟炎王」「武者刀流義守」「輝神大将軍獅龍凰」
 
SDガンダムフォース絵巻 武者烈伝ぶかぶかへん」

残り1体、「機動武者烈火大鋼」
 
昨今のバンダイの再生産攻勢により、再びSD戦国伝が市場に出回るようになった。
明らかに筆者のような層をターゲットにしているのだが、それに乗ってやるのにまったく悪い気はしない。
そう、これは贖罪だ。今まで散々ゴミ箱に放り込んできた武者たちへの。
今の筆者の経済力なら、彼らの商品価値に報いてやることが出来る。
 
遠くない未来に、彼らが見事、横一列に並んで、深遠なる武者頑駄無の世界への扉を開いてくれることを夢見ながら、
今日は、眠りにつくことにしよう・・・。

*1:当時、シーズンの過ぎたBB戦士の再出荷は行われていなかったように記憶している。