今更だがもう一回マクロスFの話

「ミシェルが死にっぱなしなのは納得いかない。生き返っても全然不自然じゃないのに」
という声をちらほらと聞く。
確かに、あのお祭り騒ぎ的、ご都合主義的な最終話付近の流れからすればそう思えても無理はないが、
マクロスという作品は、河森正治という人は、そういうことはやらない。
 
キャラクターの死は結構重く扱われるのが、河森作品の常であると思う。
ファーストマクロスならフォッカーと柿崎
プラスならガルド(特にOVA版)
7なら金龍(河森さんはほとんど関わっていないはずだが)
ゼロならアリエス
どれも、話の流れとしては死んだと見せかけて生きていて、最後の大団円で顔をちらりと見せる、
などという流れになってもおかしくないキャラばかりなのだが、彼らは本当に死んでいる。
そしてどの死も、他のキャラクターの人格や行動に影響を与えたり、
ストーリー中盤から終盤に掛けての加速などに非常に大きな役割を持っている。
 
Fのミシェルの死も、周りの人物に、そして何より視聴者に大きな影響を与え*1
番組終盤の状況の加速を大いに盛り立てている。
そのような大きな意味を持つ死であるからこそ、いかにご都合主義的な展開が終盤に詰め込まれていたとしても、
否定されることは出来なかったのだと思う。
 
キャラの死に物語上のしっかりとした意味を与えることは、生前のキャラの活躍をより印象深くし、
そのキャラの価値やストーリーにおける地位を大きく高めることもある。
河森監督はキャラの死に際して、常にそのような「特進つきの死」を与えるよう計らっているように感じる。
それはやはり、キャラクターを大切にし、彼らが織り成すストーリーを大切にしている証だろうと思う。
 
最後に。
マクロスFを素晴らしい作品にするため尽力した、ミハエル・ブランというキャラクターに深い敬意を。

*1:筆者はあのシーンで目の前が真っ白になるかと思った。衝撃的だった