これでよかったんだろうか

結果的にだが、俺がIJU先輩に引導を渡す形になってしまった。
電話で嬉しそうに「ありがとう」などと口走る黒。
電話でいつもどおりの口調で「大事なのはけじめだと思うんです」と語るMJ。


追い出されたはずの5年生がサークルに入り浸るのがイレギュラーなのは確かだし、
それでサークルの空気がおかしくなったり、現役生が不快な思いをするのであれば、
その上級生は自ら出現率を下げるのが正解であるけれども。


ただ、俺のようなバカは


「みんなIJUさんが嫌いなだけじゃね?」


などと考えてしまう。


もちろんこんな思考は間違っているか否か以前の問題だし、
仮にそういう「好み」がこの問題に影響を及ぼしたとして、
IJUさんの退場によって精神的利益を受ける人間が多数派ならば、
功利主義的観点から問題はないかもしれない。(だとしたら俺は少数派ということになるが)


今回の件に限らず、最近こういうことが増えていないか。


ずいぶん前、「好みは人それぞれだ」と書いて、「それが分かってない人はいないだろう」とコメントされたことがある。
俺もそのときはその通りだと思ったが、今になって、果たしてどうか、と感じる。
「好み」とあの時書いたが、言い換えるなら、価値観、考え方、常識、と言えるかもしれない。
そういうものは人によって千差万別のはずだが、一部(多数派かもしれないが)の人間が
自分たちの「好み」を他の人間に押し付けている現状がある気がする。


最近良く聞く言葉に
「普通○○でしょ」
「どう考えても○○でしょ」
「常識的に考えて○○でしょ」
などというものがある。


こういう発言はつまるところ、自分の「好み」を表明してそれが普遍的であると主張しているんだろう。
そんなわけないのに。


我々はサークルを営んでいる。サークルは集団であり社会だが、とても小規模なものだ。
所属する全員の顔と名前を一致させることが出来るほど小規模なものだ。
だからこそ、仮に少数派であったとしても、自分と異なる「好み」を持つことを否定していいはずがない。
現在のわがサークルにおける最大の課題は「空気、雰囲気の悪さ」だと考えているが、
自分と「好み」が合わない奴は人間じゃない!とでも考えている人がいること、
こういうことが原因のひとつになっているような気がする。




以下、今まで以上の単なる愚痴にして、今日の主題。




サークルをひとつの価値観(つまりはルール)で括ってより良くしようと考える人がいるみたいだけど、
ここは職場でも学校でもなんでもない、全員が共通の目標を持ってそれに邁進する必要はないはずだ。
そもそもこういう方法で解決しようとしていることは果たして重要な問題なのか。


俺達はアニメを作るためにこのサークルに入ったんじゃなかったのか?
あるいは普通のアニメサークルとは一味違った味のあるアニメトークを求めてこのサークルに入ったんじゃなかったのか?
サークルはみんなで集まってやりたいことをやる集団だ。そこに必要なのは厳格なルールじゃない。
やりたいことが実行できるノウハウと素材と人材がいればそれでいいはずだ。
そして、俺たちはそれを既に持っている。


じゃあ問題は何だ。


ちょっと気に入らないことを取り上げて「これは問題だ」と声高にアピールすることが問題なんだ。
問題を解決しようとしている人間こそが、問題を作り出している。
そういう人間は既にこのサークルの現状に興味はなくて、
ただ自分の望む改革を実行するためだけにサークルに来ている。
改革、すなわち破壊と再構築のカタルシスを現実世界で味わいたいだけなんじゃないのか。
そんな自己満足のために余計なことをしてサークルを引っ掻き回すのはもうやめろ。


お前が余計なことをしなくてもサークルはちゃんと動く!
サークルには指導者も影の指導者も必要ない!
改革なしには何も考えられなくなっちまった奴はもう辞めちまえ!






・・・ふう、スッキリ。
コレで明日も気持ちよくサークルに顔を出せるというものだね。