良いものを摂ろう。

「昔、職人を育てるときは本物だけを見せるようにした。
 そうすればそのうち、本物と偽物の見分けが自然と付くようになってくる。
 現在のテレビアニメは全て偽物であるから、アニメを作りたければテレビアニメを見てはいけない。」
 
という富野由悠季の言葉がある。
この話をとある友人としたとき、彼はそれを否定して、
「悪いものを見ないと判らないこともある」
と言った。
 
しかしそうだろうか。
 
体育の先生に「悪い見本」をたくさん見せられた生徒は、そこからよい動きを編み出すことが出来るだろうか。
有害な物質をたくさん摂取した人体は、自然にその有害な物質を吸収せずに排泄できるようになるだろうか。
母親の手料理が不味い家庭で育った子供が、本当に美味い料理とそこそこ美味い料理を区別できるだろうか*1
 
悪いもの、偽物を大量に浴びることが、よい結果をもたらすなどとは、筆者はとても思えないのだ。
はっきり言えば、身体に悪い。
 
そして、富野の言葉は現在においても真実であると感じている。
もちろん、たまに見たいと思うアニメに出会うことがある。そういう場合は大抵見ている。
しかし興味がわかないものは見ない。自分で興味を持てないものを見ても、得るものがあるはずがない。
それが本物であろうと偽物であろうと。
 
だから、いつもいつも「つまらない、苦しい」といいながら
見ることが出来るテレビアニメのほとんどを見ている彼が非常に不憫で、
しかし彼は自ら望んでそうしているようにも思われて、なおさら不憫で。
 
彼は自分を犠牲にして、何を求めているのだろうか。
彼の行く先に、何があるのだろうか・・・

*1:筆者のこと