ファミ通今週号「ラストレムナント」インタビューより

河津氏「とにかく考えてプレイしてもらおう、と。
      そこを捨てちゃったらコマンドバトルを作る意味がないですから。」
高井氏「“何の苦労もなく先に行きたい”というのがコマンドRPGファンのほとんどの意見になるのであれば、
      バトルのないRPGを目指します(笑)。」
 
そう、何も考えないで進むゲームをゲームとは呼ばない。
思考することを止めるのは“プレイ”を放棄するのと同じことだ。
ブログのタイトルと矛盾するようなことを言っているが、
個人的には「思考停止のタイミング」が重要だと思ってこのタイトルにしている。
 
考えることは楽しいことだ。最近のどこぞのアニメのキャラが「思考と反応の両立!」とのたまっていたが、
ゲームプレイとはまさにそれで、綿密な思考と素早い反応が必ずよい結果をもたらすようになっている。
各種「落ちモノゲー」や格闘ゲームなどはその好例であろう。
 
ただ、最近思うのは、どうも業界が「反応偏重」になっているのではないかということ。
 
その場に応じた臨機応変な思考で状況を操る要素はどのゲームにも残ってはいる。しかし、
その思考を状況に反映させる“前提”としてまず、一定以上の反応速度が要求される状況が増えているように思う。
一時期以降の格闘ゲームシューティングゲームなどがそれで、考える前にキャラクターを
“思い通りに”“瞬時に”動かすことができなければ全くゲームにならないといった状況に直面したことが何度もある。
格闘ゲームにおいてはゲームスピードの際限ない上昇が、
シューティングゲームにおいては「弾幕」の出現がその一因だろう。
 
そして、両ジャンルは近年プレイヤーの減少に悩まされ、「廃れた」とすら囁かれることがある。
一定以上の反応力を持たない(語弊を恐れずに言い換えれば、運動神経が鈍い)人間をふるい落としてきた結果、
という言い方も出来てしまうように思える。
 
そしてそんな業界の状況に同調するかのように、プレイヤーたちの嗜好も変質してきたように感じる。
例えばRPGの分野では、本来ジャンルとして持っているはずの「考えさせるゲーム性」の存在感は薄れ、
壮大なストーリーや派手な演出、キャラクターの魅力、グラフィックの美しさといった、
「ゲーム」という言葉の定義を考えれば表層に過ぎない部分が偏重されるようになってきた。
また、爽快で軽快なゲームスピードがもてはやされるようになったことは、個人的に賛美してきたATB*1の功罪を考えさせる。
 
今にして思えば、FF10の「入れ替え」を前提とした非リアルタイムバトルは注目すべきものだった。
「敵の足を鈍らせる」「味方の行動を速める」など、速度を操作できる行動に富み、
脚の遅いキャラであっても、準備を整えた上でタイミングよく投入することで安全に行動できる。
非常に戦略性に富んだバトルシステムだったと言えるだろう。
 
やはり“戦略(タクティクス)”という発想が今のRPGに、ひいてはゲーム全体に求められているように思う。
それはゲームを一旦止めて思考しながら、敵の動きを予測し、効率よくゲームを進めるためのプランを自ら作り上げることだ。
ウィザードリィに始まるコンピュータRPGは、かつてはどれもそのようなゲームであった。
なにもタクティカルRPGSRPG)に限った話ではない*2
それにリアルタイム性を謳うATBにだって、プレイヤーに考える時間を与える「ウェイトモード」があったではないか。
「考える余地」はやはり残されていたのだ。
 
我々は、もっと考えながらゲームをプレイすべきなのではないか。
時代に翻弄され、軽さを、速さを、求めすぎていたのではないだろうか?
 
「速さ」という概念を一度捨て去ったところに、ゲームが置き忘れてきたとても大切なものが、未だに我々を待っている気がする。

*1:アクティブタイムバトル:FFシリーズに4以降、9まで採用されたシステム。時間と共にキャラ固有のスピードでゲージが溜まっていき、溜まりきったキャラクターがコマンドを入力できるようになる

*2:もちろん、今年になってファイアーエムブレム第1作がDSでリメイクされたことは重要な事実ではある。