否、ゲームをやらなかったからバカになったのだ。

子供たちはもっとゲームをやるべきだと思う。
それは、外でボール遊びをするなという意味ではない。
 
ゲームと言うのはとても単純なものである。
ルールに従い、状況に応じた行動をとり、成功すれば対価が与えられる。その先に目標がある場合もある。
 
例えば、自動的に落下する正方形4つの組み合わせによる様々な図形を操作し、
横一列隙間無く埋めればその列が消え、スコアが与えられる。というように。
 
例えば、示された目的地を目指して移動し、敵が現れれば戦闘を行なって倒し、その際に成長が与えられ、
目的地に到達した暁には物語の進行が与えられる。というように。
 
ゲームは人生の縮図だ。
我々は収入という対価のために働き、充実という対価のために遊び、回復という対価のために眠る。
対価を手に入れるためには努力が必要とされることもある。労働だけでなく、趣味においても。
ゲームはある意味において、目標を達成するために努力する、という行為を教えてくれる。
 
どうしても勝てない敵を倒すためにキャラクターを鍛えることであったり。
難易度の高いステージをクリアするために難解な操作を身につけようとすることであったり。
提示された謎を解くために必死で知恵を絞ることであったり。
 
そのようなものを幼いうちに経験しておくことは、将来的に確実に有意義であるはずだ。
今まで出来なかったことが出来るようになる、という喜びを、ゲームは確実に与えてくれる。
そして人生は、そのような「克服」の積み重ねであると信じている。
 
ボールをまっすぐに蹴ることが出来るようになることと、
波動拳のコマンド入力が出来るようになることは等価なのだ。