アムザック氏の日記読んだ。

アニメを「観なきゃ」と表現する不自然さについては以前言及したことがあったかもしれない。
この使命感、義務感のようなものはどこから来るのか。


まあ要するに、アニメを「観なきゃいけない」という気がするんだが、それはなぜだろうか。
いや逆に、こういう疑問を抱くということは、俺はアニメを「観なきゃいけないもの」とは考えていないということか。


アニヲタがアニメを観なければならないのはコミュニケーションの前提条件としての情報の共有を図るためだろうか。
例えばサークルの仲間とアニメの内容について語り合うときは、対象のアニメを両者が視聴していることがほぼ絶対条件となる。
ただ、仮に前提条件が相手と揃っていなかったとしても、
コミュニケーションの中で情報の同期を図るのもまた一興かとは思う。


で、俺がアニメを「観なきゃ」と言ったときに違和感を覚えるのは、
上記のようなものは俺にとって、アニメを観る目的としては副次的なものでしかないからかもしれない。
もちろん、「○○が面白い」という意見が他人と一致したときの喜びは至上のものだが、
それについて、「どこが、どのように、なぜ、面白いのか」などと語り合うのは俺は非常に苦手だったりする。
俺はあんまり物事を深く考えない人間なので、「○○が面白い」と感じた時、理由のほとんどは不明だ。
作品を見て面白いと感じたら、面白い作品だと判断する。俺のアニメ批評なんてこんなものだ。


元来人付き合いが下手で小さい頃から家にこもって本を読んだりテレビを見たりする毎日だった。
友達の家に遊びに行くときも、友達と過ごす時間が大切だったのではなくて、
自分の家にはない遊び道具に憧れていただけだったのかもしれない。
昔から他人と語り合ったり、議論したりするのは苦手だったし、あまり好きではなかった。


脱線したなあ。
つまるところ、俺の「アニメ観なきゃ」という義務感というか強迫観念は、
今自分の周りにいる「アニメを使ってコミュニケーションする人」への憧れや、
アニメサークルに所属しながらそのあたりのオタク的メンタリティに欠けることへの焦りから来るのかもしれない。


しかしまあ、必死こいてオタク的メンタリティを会得しようとする必要はないよね。
ていうか、語るのが苦手っていうのはオタク的メンタリティがどうのじゃなくて単に頭が悪いだけですか?w


まーいーや、アニメ作るの楽しいもんね。