レイトショー 今夜のラスト

十二人の怒れる男 [DVD]

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もうすぐ日本にも裁判員制度が導入されます。あなたも、人を裁くかもしれない…


今、すべての日本人が見るべき映画のひとつ。裁判終了後の陪審員室での密室劇。
この映画を見るうえで理解しなければいけないのは、「疑わしきは罰せず」という考え方。
言い換えるなら、「疑う隙が寸分たりとも無い完璧な有罪」でなければ、有罪の判決は下せないのである。
「8番」は、何も少年に同情して無罪を主張したわけではない。
有罪とされる証拠に疑わしさがあると判断し、その点を議論する必要があると考えたに過ぎない。
そして、疑う余地があるのならば、有罪としてはならないのだ。


更にこの映画で気づくべき点は、「証言の重要性」。
「8番」は、証人の証言をしつこいほどに性格に検証する。本当にしつこいほどにだ。
例えば、向かいの部屋の住人が「通り過ぎる6両の電車の最後の2両越しに見た」と証言すれば、
6両編成が通り過ぎるまでの時間をその場にいる人間の意見から算出し、
最後の2両が通り過ぎるのに必要な時間を割り出したり、
下の部屋の住人が「叫び声が聞こえてから15秒後に玄関に行くと、犯人が降りて行った」と証言すれば、
その住人の部屋の見取り図を元に距離を算出し、本当にその間を15秒で移動できるかを検証したりする。


我々の中には、「証言は思い出しながらするものだから、曖昧でも仕方ない」という考えがあるはずだ。
しかし、ひとたび人を裁く立場に立てば、頼りになるのは物証、状況証拠、そして証言の3つだけである。
そして特に証言は、人間の記憶に依存し、非常に曖昧になりやすいもの。
だがそうだとしても、人を裁く者はそれを「証拠」として徹底的に検証しなければならない。
証言は時に物証にも勝るほど判決の行方を左右する。本当ならば、曖昧さなど決して許されないものなのである。


「8番」は、徹底的な議論の必要性を説き、そして実践することで、
偏見と先入観に満ちたその場の空気を払拭することに成功した。
しかし、現実に我々が彼らの立場に立ったとき、果たしてそこに「8番」はいるだろうか。


あなたは、私たちは、正しく、人を裁けますか…?