京都アニメーションって・・・

帰り際にそういう話題になった。
とりあえず作画クオリティがメチャクチャ高いというのは確かなんだが、・・・
と、皆ここで一回句点を挟んで話しをしている。
かく言う俺もそういう話し方になってしまっているのだが・・・
皆、京アニに対して何か、微妙な感情を抱いてしまっているようなのだ。
今期の「涼宮ハルヒの憂鬱」も、さすが京アニ、どころか、そこまでやるか京アニ、と言わせるような
凄まじい作画クオリティを誇る。特にOP、EDなどは正に神業の域と言っていい。
が、伊集院さんが言うように、「だからどうした」と言いたくなる空気が我々の中に漂い始めている。
京アニの作画に対する一種の嫉妬、と言ってしまうと聞こえが悪いが、言い換えるなら、
京アニはこのまま、やたら作画枚数が多いだけで中身のない作品ばかり作るようになってしまうのではないか」
という不安が持ち上がってきているのではないかと思う。
もしかしたら今期の「ハルヒ」についても、
「つまらない脚本を作画の力で誤魔化している」だとか、
「ストーリーなどどうでもよくて、京アニの作画クオリティを見せ付けるためだけに作っている」
とかいう意見があるかもしれない。
しかし、俺はそうは思わない。
ハルヒ」の作画は確かにやたらと動くが、あらゆる動きが「作品を面白くする」という方向に向かっていると見える。
単に動かしたいからではない、動いたほうが面白いから動かしているのだ。
ストーリーに関しても、第1話から実質的なエピローグを放送してしまうというある種の挑戦を行っているが、
この挑戦も明らかにストーリーを面白くする方向に作用している。
クオリティの高さは手段に過ぎない。目的は「面白くすること」である。
エンターテインメントとはそういうものなのだから、
ハルヒ」は十分にそのエンターテインメント性を保っていると思うのだ。