自己顕示欲

人間は誰しも多かれ少なかれ矛盾した部分を持っているものだ。
俺個人に関しては、自己顕示欲の部分に非常に強い矛盾を抱えているといえる。
自分なりの自己分析の結果、俺は本来、非常に自己顕示欲の強い人間で、
何をするにも誰かに見ていてもらいたいと思う傾向がある。
そして、ただ見ていてもらうだけでなく
自分の行動を評価し、問題があれば指摘してもらうことで自分を向上させることを強く望んでいる。
はずなのだが。
実際には、
良い評価を下されるとどのように反応していいのかわからなくなってパニックに陥り、
後から考えるとその良い評価を無に帰してしまったとしか思えないような不可解な行動に出たり、
悪い評価が下されれば自分の全人格を否定されたように感じ、
その評価を下した人との関係が壊れてしまったかのような錯覚を覚えたりしてしまう。
うん、たまにいるよね、こういう人。
 
更に俺の場合、もう少し厄介なことに、
どんな行為でも、他人に評価してもらえる可能性がないと、モチベーションを維持できない
という性質があるようだ。
あくまで「評価される可能性がある」ことが重要で、実際に評価されると上記のようなことになったりするのだが。
小学生の頃に痛い作文をネット上で公開したり、今現在ブログを続けたりしているのは、
すべて「人に自分のパフォーマンスを見て欲しい」という欲求があるからだといえるのだろう。
だから例えば、「文集に載る予定のある作文」という課題に対しては異常なほどの意欲を発揮する反面、
どうせやっても丸をつけて返されるだけの「計算ドリル」という課題には全く意欲がわかなかったりする。
経験上、自分はどちらかというと本番に強いタイプだと思っているが、それはつまり、
一人で練習していても誰にも見てもらえないから意欲がわかずコンディションも上がらないが、
大勢の前に立った瞬間にテンションが振り切れてポテンシャルが発揮される
というパターンが比較的多かったからだろうと思う。
宿題は全然やる気が起きないが、成績が発表されるテストには全力を傾ける、なんてこともあった。
 
この性質はそうそう変えられるものではないだろうし、個人的にも矯正しようとは思っていない。
だが、問題は将来だ。
最終的に就く職業も、俺の上記の性質に合ったものであることが望ましい。
今、最も現実味のある目標は「アニメのデジタル撮影」という仕事。
スタッフロールにおいて「撮影」とか「コンポジット」などと表記される役職で、
具体的には色が塗られた動画に実際の動きのタイミングをつけ、
背景と合成し、2DVFX(特殊効果)をかける仕事である。
・・・お気づきの方もいるだろう。
そう、この仕事、目立たないのだ。
俺のように将来的なことを考えてこの職種に興味を持っている人間ならばいざ知らず、
多くの一般人(オタク含む)にとって撮影は非常に影の薄い職種であり、
おそらくその第一人者と呼ばれるような人もそれほど注目されてはいないだろう。
実際俺個人も、「ぽてまよ」で強烈な柔らかさ(凄い表現だ)を画面にもたらしていた大河内喜夫さんとか、
現在「ブラスレイター」で毎回一人で撮影をやっている林コージローさんくらいしか、この職種の人の名前を知らない。
サークルで業界基準にある程度近いソフトウェア環境で作業をしていることを利用して、
ある程度はもぐりこみやすい職種であることは確かなのだが、
果たして、俺はこの職種に実際に就いて、それで幸せになれるんだろうか。
 
この仕事を貶める気は無い。撮影はデジタルアニメにおいてものすごく重要なファクターだ。
彩色以降のすべての作業がデジタル化されている現在、色が塗られただけのセル画は
そのままではどうしようもなく無機質になってしまう。
実物が存在せず、最低限のデータだけで構成されているのだから無理もない。
そのような無機質な画に、実存感を与えるのも撮影の仕事である。
デジタル撮影が担う2DVFXは、デジタルアニメ有機的な要素を与え、
アナログアニメと比べても違和感の無い見た目に落ち着かせる目的を持っている。
特に動画ではプロとの間に越えられない壁のある自主制作アニメにおいては、
デジタル撮影(加えて色彩設計)が「画から素人臭さを抜く」ために非常に役に立つのだ。
 
しかし、しかし。
俺は「人に見てもらえないとマジになれない」人間である。
スタッフロールで人口のほとんどに流されてしまう職種に就いて、本当に大丈夫なのだろうか。
 
この先は更に文章が痛くなるから覚悟のある人だけ読んで。
 
 
声優になりたいと本気で思っていた時期が、ずいぶん長くあった。
思えば小学校の高学年ぐらいで興味を持ち始め、それ以来ずっと、大学に入ってもまだ、結構本気だった。
アニ研に入ったのも、「自主制作やってるなら声優がやれるんじゃないか」と思ったからで、それは実現している。
まあ、実際はデジタル撮影のほうに俺のポテンシャルが発揮されたという風に考えられているはずだが、
これはおそらく、俺が単にソフトウェアの扱いに全般的に強い、というだけの話だと思うのだ。
これでもパソコンに初めて触れてから12年、自転車に乗るよりパソコン扱うほうが得意になったかもしれない。
ymwk先輩は「社会に貢献できる仕事に就くべきだ。君の腕なら撮影で社会に貢献できる」と言ってくれたが・・・。
 
要するに声優をまだ諦めていないのだ、俺は。
実際、その手の才能が全く無いとは思っていない。
・・・こんなこと書いちゃうと「声うpしろよ!」とか言われそうで怖いな。
そうだ、俺が常々思っていることを一つ、唐突に思い出した。
「自信と自惚れの境界線はどこか」
・・・で、書いたとたんに「根拠があるかどうか」っていう結論が出てしまった。
しかし、根拠なんてどこにあるのか?誰が証明してくれるのか?
根拠を見つけ出せない人は、どんなに自信を持とうとしても全部自惚れになってしまうのか?
 
・・・あー痛え。
 
IJU先輩、俺は命を懸けるとか正義を賭けるとか、そんなご大層なことをやってるんじゃなくて、
ただ、幸せになりたいだけなんですよ。自分なりの幸せを掴みたいだけなんですよ。