隣の芝生を眺めつつ

早稲田祭、いい雰囲気だった。やはり祭りはいい、福岡人の血(厳密には俺には流れていないが)が騒ぐ。
やはり特撮ファンとしては、怪獣同盟を手放しで賞賛せざるを得ない。
あれは素晴らしいサークルだ。
あのサークルの規模をして、あれだけの数の企画や、それに伴う造形物を作り上げ、
イベントとなれば全力でそれらを稼動させ、集まった観客、子供たちをも楽しませる。
羨ましい。あれほどのことを成し遂げたら、サークルを運営する充実感は相当なものだろう。


大勢で何かを成し遂げる・・・俺にとっては、もはや懐かしい概念だ。
思えば高校のころ、
運動会運営委員として練習やリハーサル、そして本番の演目のスケジュール作りに尽力したり、
ブロックごとの応援アトラクションの一部門リーダーとして応援合戦を盛り上げようとがんばったりもした。
協力してくれないものもいるにはいたが、関係なかった。
やらねばならない、という使命感に突き動かされ、さまざまな作業に就いた。
正直失敗のほうが多かったし、他人をリードするにはあまりにもズボラな正確が問題を生んだりもした。
けれど、メンバーに積もる不満を認識してなお、同じように要職に就く友人たちは俺に求めた。
最後まで、投げずに、めげずに努力することを。
最後まで、リーダーであり続けることを。


ブロック応援の部門リーダーを務めた3年の夏。
運動会の最後の締め、ブロック要職メンバーによるブロック全体へのスピーチにおいて、
俺は、頭を下げた。
と思う。涙で曇っているかのように記憶があやふやだ・・・。
しかし、今でも悔やむ。
どうしてそこで胸を張って、みんなに「ありがとう」と言えなかったか。
俺は、最後の最後で、リーダーであることを辞めてしまったのかもしれない。


あれから、もう4年。
そのうち3年間、「制作サークル」と銘打たれた場所に身を置いてきた。
しかし、あの時のような情熱を、そしてあの時ほどの悔恨を、いまだ感じたことはない。
俺はどうしてしまったんだろう。
自分たちが一から「考えたモノ」が、現実へと昇華される感動。
そしてそれを、自分が最も愛する「アニメ」という分野で実現させることが出来ること。
これほど恵まれた環境にいながら俺はなぜ、
そんな感動とは無縁の場所にいるような気がするのだろう。


そんな感動なんて最初から実在しないのさ、という人がいるだろう。
ダウトだ。
俺は確かに感じたんだ、4年前、夕暮れの校舎で、真夜中の公園で、炎天下のグラウンドで。
どんなに苦しくても、どんなに思い通りに行かなくても、それでも消えない情熱。
それを確かに肌で感じていた。


必ず「出来る」。
だからやらねばならない。
それが原動力だった。
必ず出来る保障がどこにあるのか・・・?
あそこにあった、俺の母校に。旧制中学時代から連綿と続く歴史の中に、
そして俺が直接この目で見た、2年間の中にも!
先輩たちはがんばっていた。一生懸命がんばって、そして「感動」を生み出し、俺たちにのこしてくれた。
だから俺たちにも出来るんだ。俺たちも先輩たちのようにがんばって、次の後輩たちに歴史をつなぐんだ。
・・・そこまで大層なことを考えていたかどうかは、正直わからないが。
でも、こうして文章に起こしているだけで、胸の中で沸き立つものが、まだ、ある。
だから確信できる。これは、真実だった。


俺たちは、先輩たちから何を受け取ったのだろう・・・。
俺たちは、後輩たちに何をのこしてやれるのだろう・・・。
・・・そう、このサークルには、「歴史」が、ないのだ。


しかし、上記のとおり希望はある。
今までの歴史がないのなら、今から歴史を作ればいいのだ。今いるメンバーの力で。
どんな歴史にも必ず始まりがある。それが今だ、という、ただそれだけの話なのだから。