市場と「インタラクティブ性」について

http://d.hatena.ne.jp/triyol/20071031
やはり俺はこういう分野においても少数派か。




世代が求めるこのようなインタラクティブ性の先駆けはクイズ番組かもしれない。
パネリストが問題に答えるさまはそれほど重要でなく、
自分も一緒になって考え、番組内で明かされる回答を自分に向けられたものだと考えるだけで、
一瞬にして自らもパネリストに変身することが出来る。そんな楽しみ方とか。
「IQサプリ」とかは結構その辺狙ってるんじゃないだろうか。
まあ、パネリストの挙動が重要なクイズ番組のほうが今は多いけど(ミリオネアとかヘキサゴンとか)


さて、本題。(上の駄文よりもっとつまらんので注意。でもだんだん面白くなるかも)
俺はCG集が好きではない。差分CG集も然り。
1枚の止め絵をオカズにするときでも、単なるCGよりはマンガの一コマ(台詞があればなおよい)。
こういう人間だ。
この原因、今まで長らく謎だったのだが、つまり俺は「インタラクティブ性」が要らない人間なのだ。


選択肢が多いゲームはそもそも好きではない。
数ある選択肢からさまざまな組み合わせを試して異なるエンディングを探す作業は遊びとすら思えない。
RPGでも、作業っぽさが少しでも感じられるととたんに萎えたりする。
何度も行ったり来たりしなきゃいけないダンジョンとか、かなり苦手。
インタラクティブ性」を「ゲーム性」を言い換えることが出来るとしたら、
俺はそもそもゲームが苦手なのだろう。やはり触れるのが遅すぎたのかもしれない(小学校4年)


幼いころから絵本とNHK教育にどっぷり浸かって育った結果、俺は、
インタラクティブ性を身につける前に「パッシブに生きる」ことを身につけてしまったのかもしれない。
人と話をするより、本を読んでいるほうが気楽だ、疲れないから、というほどに。


以前、友人と一緒にアニメを見ていると、彼がチラチラこちらを伺ったのち、
「退屈そうだね」と言ってきたことがある。(見てたのはガサラキ
正直、心外にもほどがあった。俺は思いっきりガサラキを楽しんでいたのだ。
何も言わずじっと画面を見つめながら。
彼にとって、アニメを楽しむ姿というのは、鑑賞するだけに留まらずその内容に関連した話を見ながら交わしたり、
画面の中に突っ込みを入れたり、感嘆を見ているもの同士で表しあったりすることなのだろう。
彼を見ていてそれはよくわかる。
だが俺にとっては正反対だ。
正直、彼がアニメを見ている途中に話しかけてくることを煩わしいと感じたことも多々ある。
俺にとっては、アニメを楽しむことは「ただ見ること」以外のなにものでもないのだから。


最初にプレイしたエロゲは「Kanon」続いて「痕」、「アトラクナクア」
このあたりの「読ませる」タイプのゲーム(要はビジュアルノベルよね)が俺はいまだに好きだ。
発売されるソフトのラインナップを見れば、時代に取り残されていることは明らかなのだが。


現実を受け入れられないから虚構へと身を投げる。
感情移入を基盤とするストーリーへの没入は俺にとって至上の悦びだ。
インタラクティブ性など、俺の“ダイブ”にとっては単なる障害でしかないのだろう。


余談1
いつだったか、
「男がレズものを好むのは男がいなくて女がいっぱいいるから、という以上の理由はない」
という話を聞いたことがあるが、俺に関してはそれは当てはまらないだろう。
俺は感情移入の相手を選ばない。相手が女であっても違和感はない。*1
オカズの興奮度にも感情移入度は大きく影響するのだ(俺の場合は)。
それを考えれば、「螺旋回廊」はまさに俺にとって究極のエロゲだったといえるのかもしれない。


余談2
kuro氏が以前、
「最近のAVは見ている男にSEXを疑似体験させるように作られたもの(「主観」とか)が多くて困る。
 昔の、他人のSEXを覗き見しているような感覚がよかったのに」
という趣旨の発言をしていた。AV業界も「インタラクティブ性」を意識し始めているのかもしれない。*2

*1:嘉門達夫の「マーフィーの法則」に、「男はみな、一度は女になってみたいと思っている。だが、その動機は不純である。」というのがある。俺が言いたいこととは少し違うが。

*2:選択肢によって分岐が起こるAVが実在している。