ちょっと怒ってみようか

平成ライダーシリーズに関する人々の評価を見ていくと、
仮面ライダーとして見ると違和感」「石ノ森章太郎への冒涜」「こんなのライダーじゃない」
などという言葉をよく見かける。


では逆にお聞きしたい。「仮面ライダーらしさ」とは一体何だ?


今回の電王に関しても「電車がモチーフなんてありえない」「仮面ライダーが電車に乗ってどうする」とよく言われている。


なら、一体何がモチーフなら仮面ライダーらしいというのだろうか?
バッタ?譲れても昆虫まで?じゃあアマゾンはどうなる?彼のモチーフはトカゲだ。


仮面ライダーなのだからバイクに乗らねばならないというのならば、電王も立派なライダーだ。毎回のようにバイクを使っている。
BLACK RXのときも似たような議論があったようだが、ライダーがバイク以外の乗り物に乗って何がいけないというのだろう。


仮面ライダーらしさ」というものに言及する人は、現行のライダーの「らしさ」を評する前に、
自分の中の「仮面ライダーらしさ」の指標を見つめなおす必要があると思う。
そうすれば、「仮面ライダーらしさ」などというものはそもそも幻想だということに気づくはずだ。
今までの仮面ライダーを全部並べても、すべてのライダーに共有されている意匠やモチーフは存在しない。
必殺技がキックではないライダーもいっぱいいる、モチーフが昆虫でないライダーも、
バイクを常用しないライダーも、ベルトをつけていないライダーだっているのだ。


仮面ライダーらしいヒーローが仮面ライダーなのではない。
仮面ライダーとして生み出されたヒーローが仮面ライダーなのだ。


新しくライダーが生み出されるとき、スタッフは前年の作品とは全く違うものを作ることを要求されている。
新しいライダーを作らなければいけないのだ。これはスポンサーからの要求であると同時に、
視聴者の無意識の要求でもある。前の年と大差ないものを見せられてもつまらないのは当たり前だろう。
だから、「仮面ライダー」という名前が持つ最低限の要素を一応、揃えた上で、
前年までの作品を考慮に入れすぎず、独自のアイデアをもって新ライダーを誕生させなければならない。
今までと違うものが出てくることには、何の不思議もないのだ。


一見、「らしくない」と思えるものが出てくることは全く悪いことではない。その方が面白い。
「らしい」ものしか出てこなくなることを、「マンネリ化」と呼ぶのだ。


「らしくない」ことをマイナスポイントにしてはいけない。