技術のための技術

サカイはよく、最近のアニメに含まれる「技術のための技術」を批判している。
俺はこの言葉が具体的にどんなものを指すのか明確にはイメージできないが、
なんとなく、「演出を逸脱した、あるいは、演出とは無関係に用いられた技術」
みたいなものじゃないかと思っている。
それに当てはまるものには、デジタル処理が多いだろうとも思う。
確かに、行き過ぎたデジタルによる作画の補正や過剰な演出に対する批判があるのは事実だ。
とある先輩の自己紹介欄の中にあった「願い事が三つかなうなら何をお願いする?」
の中に、「アニメーションをセルに戻して欲しい」というのを見たこともある。
しかし。
「演出でない技術」など存在するのだろうか?
技術を使うときに何も考えない人はいないはずだ。
現に俺はこの夏のネコ企画において、デジタル処理でかなり大きな責任を負ったが、
何も考えずにデジタル技術を行使したことは無い。
というより、「考えずには技術を使うことが出来ない」
何も適当にやっているわけではない。
こういう技術を使うときは、「画面を綺麗に見せたい」とか、
「画面に迫力を持たせたい」あるいは「画面に何らかの新たな意味を与えたい」など、
作品の出来に関係がある明確な目的を持っているものだ。
「こうしたほうがいい」と思ったからこそ、その技術を行使するのである。
そして、
このようにして使われた技術は、この時点で「演出」と呼べると思う。
演出とは、製作する側の意図、「何を、どのように見せたいか」という意思を、
映像に込めていく作業なのだから。


まとめると、「技術のための技術」も、「演出」としての意味を持っているはずだ。
ということでした。
しかし、元が曖昧な過程の上での主張だな・・・。
まぁ、勘違いでも構わない。
こういう自分の意見を、頭を使って文章にして、残しておくって事は大事だ。
後になって、「あの時はこう考えていたんだな」と思い返すことも出来るし。
俺はまだ絵がヘタだから、作品に自分の個性を残すにはデジタルしかない。
んで、そのデジタルを思いっきり使うために自分の中で結論付けておきたかった、
というのがこの文章を書いた動機だったりする。
「俺はデジタルを使ってもいいんだ・・・!」と自分なりに納得したかったわけです。
ひとりよがりでごめんね。