体が白い犬は、

という和製ジョークがあるが、まぁ今回はあまり関係ない。
冬の製作に向けて水面下での準備作業が進み始めている。
いろんな奴がいろんな企画を考えているようだ。
「面白いものを作りたい」と俺は思っている。これはある程度の共通認識だと思う。
しかし、面白い作品って、どんな作品なのか。
そもそも、面白いっていうのはどういうことなのか…。
こういうそもそも論は俺は嫌いだし、こんな論議に結論が出るはずは無いと思っているが、
俺の場合、「面白い」というのは「皮膚感覚」に近いような気がする。
作品を一通りさらりと触ってみて、「あ、面白い」と感じられればいい。
その感覚が得られるのならば、その作品の中にどんなものが詰まっていようと関係ないと思う。


言いたいことがうやむやになってきた。方向転換。
正直に言うと、この記事はhttp://d.hatena.ne.jp/triyol/20060703に対する
ある種の反論である。が、恐らく俺はこの記事の趣旨を理解できていない。
最後の一行で俺はのけぞった。
それを言ってもらわないことには俺はサカイの考えを、感覚を理解できない。
ただ、サカイがどのように考えているか、とはちょっとずれたところで疑問が沸いた。
繰り返すが俺は、そのコメンタリーで述べられたデジタル処理に関する苦労話を聞いて、
サカイのような感想を持つに至らなかった。
問題はここだ。
このコメンタリーに何の違和感も覚えなかった俺の思考感覚は、
ひょっとすると既に「市場化」してしまっているのではないだろうか?
俺の頭が既にマクド化してしまっているのならば、
俺が「面白さ」を目指しておこなうものづくりは、結果的にはどこへ向かうのだろう。


俺はサカイやヤナさんのほど頭のいい人間じゃないから、勘違いも多いと思う。
けれどサカイの言うような「良心のこもった制作」に対する憧れは確実に抱いているつもりだ。
今度じっくり話し合いたい。
俺を相手にして「話し合い」になるかどうかは別として・・・。